光塾の指導ノート(大学受験勉強法)
こちらのサイトでは、一本の筋の通った「学習理論」について説明することを目的としています。 一方、twitterでは、「ヒント」について紹介しています。 大学受験のヒント https://twitter.com/hikari_juku
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「現代文はセンスか?論理か?」-現代文論争に対する一つの解-
「現代文はセンスか?論理か?」-現代文論争に対する一つの解-

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「現代文の成績を上げるにはどうしたらよいのか?」
このような質問を受けました。それに対し、思うところを書いてみたいと思います。


学習法を考える大前提として
僕の学習法を実践してくださっている方ならすぐにわかると思いますが、「現代文の成績を上げるにはどうしたらよいのか?」という質問に応える際には、最初に明らかにすべき前提が存在します。つまり、「今のレベルはどの程度なのか?」。現段階での実力の把握、次に昇るべき階段を明らかにしない限り効果的な学習は可能とはなりません。

他科目の体系
僕の体系では、英語なら「文法→解釈→長文→傾向対策」というシンプルな構成だし、数学や理科であれば問題のレベル別にある程度整理された階段を示すことができます。社会についてはレベル分けの概念が希薄であり、どのレベルから始めても多くの場合やればやった分だけ成長が可能でしょう。

現代文の体系は?
さて、ここで問題となるのは現代文の学習の体系です。 現代文の実力を客観的な数値や結果等で正確に測ることは極めて困難です。それは多くの方の賛同を得られるところだと思います。

現代文の学習に関する説の対立-現代文はセンスか、論理か?-
「現代文は、論理かセンスか」という受験界に伝わる伝統的な説の対立があります。例えば、受験界の伝統的通説である和田秀樹さんは「現代文はセンスである」と、本の虫であった弟との比較を挙げて主張しているし、一方で近年の有力説となった出口汪先生は「現代文にセンスは不要」と繰り返し主張しています。

和田秀樹の主張の意味するところ
和田さんの主張を正しく文脈から読み取れば、「現代文の学習と結果の向上には合理的な因果関係を想定しづらい。よって、そこに学習時間を割くよりは、目に見えて成績の上がりやすい他科目に時間を割くべきである」ということです。つまり合理的な受験戦略に基づき、センスだ、と言い切っているように思われます。

つまり、「センスである」と言い切ることで、現代文の学習につき受験生に妙な深入りをさせることをやめさせ、合理的な受験勉強を行わせることを仕向けているように思われます。加えて、彼には現代文についての明確な学習体系はありません。現代文の記述の薄さはこの辺りに起因するように思われます。

出口汪の主張の理解
一方で、出口先生の主張は大いに和田さんの主張ないし、それに直接・間接的に影響を受けた受験生の漠然としたイメージへのアンチテーゼとして生まれたのだ、と推測することは容易でしょう。つまり、「現代文はセンスである」。よって、「学習しても無駄」、「何をやったらいいのかわからない」という受験生の諦めや痛切な悩みに対応する形で受験界に現れたのです。したがって、やや極端な主張になっていることには注意すべきだと思います。

受験生の現代文に対する学習観
今の現代文に対する受験業界、受験生の心理というものは、この代表的な二者の説の対立によって形成されたように思われます。したがって、一度この点につき深く掘り下げて考えることは、現代文に対する学習観を創り上げる上で有益ではないでしょうか。
ここまでの議論を俯瞰した上で、僕の見解を述べれば、「センスか論理か」という主張は、どちらも極端が過ぎる、ということになります。

受験生による和田説の受容
一般に、「現代文はセンスである」という主張を持つ受験生は「だからやっても無駄だ」という諦めにも似た消極的な立場をとりがちです。和田さんの話を丁寧に読み取れば、「一番のびしろがある科目を学習して、総合点を上げよう」という試験勉強の原則に基づいていることは明白であって、そのような極端な立場にはならないはずです(ただし、和田さん自身が現代文の学習につき自信と根拠のある学習計画と教材を提示していないことは事実であって、受験生のみに非はないと言えるでしょう)。

受験生による出口説の受容
一方で、「現代文は論理である」という主張を持つ受験生は本文の内在的理解のみで正解が出せるという幻想を往々にして抱いているように思われます。それもやはり極端で、現代評論を読むための知識の枠組みといったものは想定されるべきでしょう。
受験の世界は学問の世界とは異なります。 そこには検証に基づく一般性は多くの場合ないし、他説との比較という視点も普通はありません。したがって自己の主張の優位性のみを解くことは一般によくあることです。

まとめると、その二人の説の対立が創り上げた受験界における現代文のイメージは、極端な部分だけが強化され、再生産されている、そのように見ることができるでしょう。
以上の議論状況を踏まえた上で、次に挙げる教材をこなしていくことは非常に有益なことでしょう。もし、「この本は本文に書いていないことを解答の根拠にするから駄目だ!」とか、「論理的に読むと標榜しつつ現代思想の知識を使うのはおかしい!」と思ったとき、今の議論を思い出してください。

現代文の実力の測定の困難さとその対策
最初に述べたように、現代文は実力を客観的に測定することは他の科目に比較して著しく困難な科目です。その結果、スタートラインが不明瞭となることはおわかりでしょう。ですから、僕の「秘伝」は「最初から、全部やる」です。

現代文の内在的理解
中学校の国語でつまずきがなかったことを想定して以下、教材を列挙していきます。 まずはこの教材から(http://t.co/8UpRZtm)。現代文を内在的に理解するとはどういうことなのか、この点について他の追随を一切許さない本です。上級者でも学ぶことは多いはずです。

とにかくノートをとること。 本文を構造的に把握しようと努めること。 文と文との関係、段落と段落の関係を掴むこと。この本からは本文の構造的把握、全体的把握から部分の解を得る、という視点を学ぶことができます。

要約問題も必ず行います。ここで示されている手法は、アカデミックな論文の書き方そのものです。大学生向けに推薦できる論文の書き方の決定版 (http://t.co/1cSR27U)を読めば、大学以降も有益であることがすぐにわかります。

「現代文はセンス」に対する処方箋
次に行うべき教材は先ほどご登場頂いた出口先生の著書(http://t.co/dhc5OU0)です。この教材を1冊目としない大きな理由は、彼の言説を相対化するためです。先ほど述べたように、やや極端な主張は含まれていますから、その点はある程度割り引いて欲しいと思います。

とはいえ、先ほどの教材(http://t.co/8UpRZtm)とやや異なった観点からの本文の構造把握の方法は、比較することで大変有益です。そしてこの本の受験生向けに薦められるもうひとつのポイントは、「センスだ」と思い込む人への処方箋となりうることです。
解説の詳しい良質な問題を通じて、本文を構造的に把握すること、を自分なりの理解で構いませんから、学習してみましょう。まずはそこからです。


「現代文論争」の意味するところ-光塾による現代文論の再構成-
現代文が上達するためには、本文の内在的理解のみでは不十分です。一般に現代文が「センス」と言われるときに指し示されているものは、認知心理学で言うところの"Scheme"の質でしょう。僕はこのような仮説をもって現代文の指導を行っています。

両極端な主張
現代文がセンスだ、と主張する側も、センスではない、と主張する側もどちらも「センス」といういかにも曖昧なラベリングを行っています。それは和田さんであれば「総合点をあげる」という合理的な選択をさせるためであるし、出口先生であれば論敵に対する言葉遣いですから当然かも知れません。

センスという「ラベリング」
この「センス」というラベリング、レッテル貼りは、いかにも不可視であるような印象を我々に植え付けるものです。しかし認知心理学におけるScheme研究の知見を利用すれば、僕はある程度形にすることができるし、それに基づき成績を向上させることは容易いものだと考えています。

個人の経験に基づく受験指導と、認知心理学に基づくScheme理論
詳しいことはさておき(気になる人向けに参考文献を挙げます)、受験生向けに話をするならば、目の前の本文が、「現代思想の中でどのように位置づけられるのか」という思考枠組みを形成することで本文の読解は驚くほど容易になる、ということです。この点を受験業界は度外視してきたように思います。

我々が先の二冊に行ったことは何だったか?それは、文と文の関係、段落と段落の関係を構造的に把握することでした。そうであるならば、本文を超えたマクロな視点で、眼前の本文を現代思想との関係で捉える、という発想は至極当然ではないでしょうか。

内在的に解説をする参考書に受験生は飛びつきがちですし、多少なりとも本文外の思想・考え・見識を持ち出すと嫌になる気持ちもよくわかります。それは、「どこまでなにをやっていいかわからない」という無力感に起因するのでしょう。

Scheme形成のために
安心して欲しいのは、「やるべきことはすでに決まっている」ということです。僕が配列しておきました。次に述べる通りに学習を行えば、外在的な思考様式、枠組みを自分のものとすることができるはずです。

Scheme形成のための1冊としてこの本が挙げられます(http://t.co/Qw1Y4RE)。現代文は決して形式的な方法のみで成績が上がるわけではありません。そうではなく、実質的な内容の理解、習得を多分に含む科目なのです。本文とだけにらめっこすれば必ず点が取れる、そういう科目ではないことを自覚的に認識すべきだと、僕は現代文論争を相対化した結果、強くそう思います。

今挙げた本でまずは比較的簡単なレベルで「現代において何が問題となっているのか」を把握することが重要です。それも読み終えたなら、次に発展編(http://t.co/4OR0KHe)
を学習しましょう。

「最初から、全部やる」がモットーですから、困難な部分は少ないはずです。しかし、ただ漫然と読むのではなく、大切な部分を抜き書きする等、ある程度能動的に読むようにすると効果が高いでしょう。



まとめ
以上、現代文に対する説の対立の歴史が生んだ学習観と、それを踏まえた上での学習すべき内容を提示してみました。ここまで学習できれば、あとは自分でやる教材も選べるでしょう。薄い問題集で構わないので、定期的に読解を行うようにしてみてください。

最後に。 先程も述べた「受験での最終目標は、総合点を上げる」ということを忘れないように。他の科目とのバランスを考え、現代文に時間を割くことが合理的なのかどうかの判断をしつつ、学習を行うようにしてください。以上です。


参考文献
Schank,R.C & Abelson, R.P(1977) Scripts, Plans, Goals and Understanding.
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プロフィール

光塾

Author:光塾
東京大学大学院教育学研究科にて「学習法略」の研究をしています。

「効果的な学習法は人によって異なる」。この当たり前の事実に、どれだけの人が気づいているでしょうか。

受験業界においては、「勉強法」というものは「法則」というにはあまりにも根拠に乏しく、個別具体的な「俺のやり方」に過ぎないことが多々あるように思われます。

そこで、戦国時代の如く統一されず、受験生を混乱の渦中に陥れている個別具体的な「俺のやり方」の乱立に対し、科学のメスを入れ、「自分に合った学習方略」の発見・選択の助けを行いたいと思っています。

つまり、学習法を科学するのです。

今まで受験業界においては、個別具体的な経験を過度に一般化するに留まり、このような統一的な視点が欠落していたように感じます。

「効果的な学習方略」の選択と、欲しい結果に見合う努力さえあれば、誰でも望む結果に到達することが可能です。

10の努力を100の結果にすると吹聴するような怪しげで奇を衒った方法はここでは紹介していません。

普通にやって、普通に受かる。

そんな方法を、科学的方法論に基づき、解明していきたいと考えています。努力が正しく報われる社会の実現に向けて。



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